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天空の学び舎日記~2009.6

~広島市西区己斐、庚午、古田、観音、井口学区の愛すべき生徒たちに捧げる365日。歌のタイトルで綴ります~

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楽しくてためになるサイト。お世話になってます!

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人生を旅するものにて、ひとり雲を眺め山を仰ぎ海に心す。草木に逢うては語らい風雨に逢うては唄い人に逢うてはまた恋す。楽しからずや。

2004年12月から続けていたので、いっぱいになっちゃったのでしょうか、ブログの更新ができなくなりました。仕方ないので、どこかに移動しようかと考えております。すみません。暫くお待ちください。

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164號wrote:
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June 27
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June 23

時代

「月日は百代の過客にして 行きかふ年もまた旅人なり」
 
 
いにしえの歌人は名作の冒頭に
 
この言葉を選びました。
 
 
 
時は移りゆくものです。
 
学び舎は2004年に誕生しましたが、
 
今年は2009年。
 
5年の月日が流れ6年目に突入しています。
 
人間で言うならば
 
幼稚園の年長組でしょうか。
 
小学校6年生で入塾した生徒は
 
現在、高校2年生として
 
学び舎に通ってきてくれています。
 
 
「アラフォー」って言葉は学び舎ができた当時は
 
なかったけれど
 
「アラフィフ」って言葉も未だないけれど
 
確実に50の数字が目前になっているわたしです。
 
 
 
1年前
 
1年前の5月に拾ったウチのネコ。
 
何にでも興味を示し、すばやく機敏に反応してました。
 
 
今では
 
何を見ても体が重そうで
 
のっし、のっし歩いてます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 今日
 
どこかの瞬間に
 
どこかのネコと入れ替わったんじゃなのかと
 
よく言われますが
 
月日の流れの中では
 
ものすごい勢いで
 
ネコならばこのくらい、
 
全てが変化していくものです。
 
 
そんなウチのネコに比べれば
 
少しだけ変わる
 
7月からの学び舎にもご期待ください。
 

 

広島ブログ

June 22

The Day The World Went Away

久しぶりにヤツに会って来ました。
 
 
hasta la vista,baby.
 
I'll be back.
 
Come with me ,if you want to live.
 
 
 
アルパーク北棟がオープンして
 
まだ行ったことがなかったもので
 
それに
 
『審判の日』後のヤツに会えるというので
 
行ってきたわけですよ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
T4
 
 
なかなか面白かったですよー。
 
これまでのシリーズの名場面を髣髴させるシーンも会ったり
 
先述の決め台詞もあったり
 
それにちゃんとシュワちゃんも出てたりで
 
鳥肌立ったり涙が出そうになったり。
 
 
いくつか???って場面もありましたが、
 
これまでの現代を舞台にした映画から
 
近未来を描いた分、これまでとは異質ですが
 
面白い映画に仕上がっていたと思います。
 
 
で、映画の後は居酒屋。
 
“Come with me ,if you want to live.”
 
てな感じの一緒に行ってたY夫妻に付き合いました。
 
しばらくして
 
トイレで携帯電話がないことに気づき
 
同席していたY夫人が
 
咄嗟に映画館に電話してくれました。
 
 
館内で電話を紛失した旨を相手に伝えた後、
 
わたしに尋ねてきました。
 
「で、どんな電話ですか?」
 
「銀色のP903です」
 
「間違いないですか?」
 
「銀色は間違いないんですが・・・たぶんP903だったと」
 
自信のないわたしです。
 
「903って、ボクと一緒ですよ」
 
そんなに新しい携帯を持ってるわけないでしょと
 
言いたげなYくん。
 
まあねー。壊れるまで使うのがわたしですもんねー。
 
やっぱり自信ないなー・・・。
 
「銀色のP903のようです。」
 
「・・・」
 
 
電話の向こうの方の次の一言が
Y夫人を驚かせたようでした。 
 
 
「え?だ・だんごですか???」
 
 
 
 
 
 
「先生、携帯に
 
 
団子つけてました?」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
団子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「はい。つけてますが。
 
あ。それ、その携帯です!!」
 
Kくんにもらった団子のお陰で
 
携帯電話戻ってきました。
 
“I'll be back.”
 
 
ご迷惑をお掛けした
 
Yくん夫妻、映画館のみなさま
 
失礼致しました。
 
そしてKくん、キミにもらった団子のお陰だ。
 
“hasta la vista,baby.”
 
ありがとう。助かりました。
 
 

広島ブログ

June 20

A WORLD TO BELIEVE IN ~ヒミコ・ファンタジア

先日、とある塾の先生と
 
勉強合宿の下見に出かけたときに
 
「邪馬台国」はどこにあったかという
 
話題になりました。
 
 
その先生は、とてもよく研究されていまして
 
最近の解析とも併せて
 
「邪馬台国は近畿地方にあった」と
 
断言されておりました。
 
 
歴史を楽しむわたしとしては
 
これまで
 
「卑弥呼は天照大神だ」
 
「倭国とは、当時の中国人が
 
『お前らはなにものだ?』という問いに
 
『え?わ?(わたしら?)』
 
と答えたから倭国になった説」
 
「織田信長は女性だった説」
 
「鹿児島九州永久中心説」
 
と、異説を唱え続けてきたわけですから
 
ここでも簡単に納得するのは
 
むしろ失礼だと
 
「邪馬台国は
 
当時の中国人が船に乗ってやってきて
 
『で、お前たちの国はどこだ』って尋ねたとき
 
『あ。あの山あたりたい。
 
あの
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ヤマタイ!』
 
と北部九州弁で答えたことが由来かもしれないから
 
やはり九州だろう」
 
と、とっさに答えてしまいました。
 
「そりゃあないですよー」
 
やるせない苦笑いが返ってまいりました。
 
 
ちょいと反則すれすれというか
 
反則ど真ん中でしたね。
 
すみません。
 
ちょいと気になってあれから
 
こっそり調べてみました。
 
 
 
中にはホントに「『山たい』九州方言説」みたいなのも
 
唱えている方もいて
 
ビックリしましたが、
 
あえてわたしなりに今のところの結論を
 
提示したいと思います。
 
 
邪馬台国は
 
魏志倭人伝にて女王卑弥呼が魏に使いを送り
 
「親魏倭王」の称号と金印を授かったとあるそうです。
 
問題はこの金印が見つからないから
 
あーでもない、こーでもないと
 
騒ぐことになってるわけで
 
何故、この金印が見つからないかということを
 
考えてみるべきではないでしょうか。
 
見つからないのは
 
おそらく
 
誰かが持ってるからです。
 
ええ。萬世一系のあの方でしょうね。
 
 
この方がおられたところが
 
都とするならば
 
九州→畿内までの範囲の小国を束ねた
 
邪馬台国=ヤマト政権ということになります。
 
邪馬台国は「ヤマトコク」と読むのが正しいとなります。
 
ここまでは概ねとある塾の先生と
 
一致しますよね。
 
 
問題は
 
その当時の都はどこにあったのかですよ。
 
 
中国に使いを送ることができるということは
 
逆に中国からも兵を送ることができるわけですから
 
警固の意味もあって畿内に移っていたとする説を
 
話しておられました。
 
 
それに警備を考えると、都の位置をはっきりさせないために
 
あっちこっち巡って
 
遠回りして連れて行きますよね。 
 
そう思えば、あの難解な距離・方位も
 
納得できます。
 
 
 
わたしの本籍は
 
鹿児島県出水郡長島町山門野なんです。
 
「ヤマドノ」って発音します。
 
ここ、涙が出るくらいいいところです。
 
連れて行った友人に
 
「すみません。泣いていいですか」
 
って言われたくらいです。
 
 
ここら一体に邪馬台国があったとすれば
 
どうでしょうか。
 
宮崎康平さんの「まぼろしの邪馬台国」とも
 
比類地が近いです。
 
わたしの気持ちもしっくりきます。
 
根拠は
 
これからゆっくり考えてみます。 
 
 

広島ブログ

June 18

まあるいいのち

千葉県柏市に
 
日本では珍しい「アニマルシェルター」という施設があるそうです。
 
 
保健所などの行政機関に運ばれ
 
殺処分となる動物たちを
 
少しでも救うため
 
行政機関と連携して
 
里親さんを探す活動をされているそうです。
 
 

NPO法人犬と猫のためのライフボート~手を伸ばせば救えるいのちがある~

 
 
 
 
かつて、学び舎のあるこの県では
 
「ドッグパーク事件」という忌まわしい出来事がありました。
 
わたしの知り合いの方が
 
事件後、ドッグパークの片付けのボランティアに参加して
 
1匹の犬を引き取って帰りました。
 
老犬でしたし、病気もあって、すでにこの世にはいませんが
 
最後まで世話をして看取られたそうです。
 
 
 
あんな事件はありましたが
 
この街の多くの方は
 
動物に対して優しい心をお持ちだと
 
体験から知っています。
 
 
 
二度と起こしてはならない事件だし
 
それによって慎重にならざるを得ないわけですが
 
アニマルシェルターが
 
この街にもできたらいいなと
 
そのためにできることがあれば
 
参加してみたいものだと
 
ささやかに思いを巡らせているのですが、
 
 
2週間後には
 
各中学校の定期テストが始まるので
 
すでに授業は
 
その対策に切り替わって
 
次第に狭い領分のわたしは
 
それどころじゃなくなると自分でも予想されることが
 
やや寂しい今日この頃です。
 
 
ああ。今回も偽善で終わりそうだぁ・・・。
 
 
 ニャン吉: オリジナルサイズで見るにはここをクリック
うちのネコも拾った猫です。
1年前はこんな感じでしたねー可愛かった^^
それが今では・・・。
 

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June 16

夏が来る

中学のときに
 
卒業後の進路を担任の先生から尋ねられたとき
 
 
「プロレスラーになりたい」
 
 
と答えた彼に、その先生はふざけていると思って
 
「もっと真面目に考えなさい」
 
と返したそうです。
 
 
 
 
 
塾でいろいろな生徒と出会います。
 
その中には
 
「俳優になりたい」
 
「歌手になりたい」
 
「プロ野球の選手になりたい」
 
「東大に行きたい」
 
「宇宙飛行士になりたい」
 
などと、公言する生徒もいました。
 
 
いいじゃないですか
 
なりたいと思わなかったら
 
なる人もいないでしょう。
 
言われるがままに応援しています。
 
「有名になったら、
 
テレビ番組とかの『あの人に逢いたい』のコーナーで
 
わしを指名してくれよ。
 
『先生のお陰で今の自分がある』って言って。必ず逢いに行くから。」
 
という言葉を添えて。
 
まだ1度も実現してませんけどね。
 
 
 
頭から否定はしません。
 
ただ、その道程の険しさについては
 
知ってる限り話します。
 
それでも頑張る人だけが
 
そこにたどり着ける権利を持っているのでしょう。
 
 
ただね、
 
ここは学習塾です。
 
塾で勉強ができるようになったからと言って
 
もちろんミリオンセラーを生み出すアーティストになれるわけではありません。
 
その道程の中で
 
果たして勉強がどのような意味を持つのか
 
考えてもらうようにしています。
 
遠回りだとしても
 
今学んでいる勉強が不必要なわけがないのですよ。
 
むしろ身につけば、どのジャンルに進むにしろ
 
その人の付加価値として生きてくるはずです。
 
 
 
前述の先生はその後、
 
プロレスラーになりたいという思いが真剣だと知り、
 
レスリングの名門、A工業高校進学を勧めたそうです。
 
その生徒は
 
A工業高校に入ってしばらくして
 
プロレスラーになりたいと
 
あるプロレス団体の門を叩きますが
 
「わたしは大学まで進んで、その後この世界に入ったが
 
入門が遅かったとは全く思わない。
 
高校卒業したら、また来なさい。」
 
という、先輩レスラーの言葉によって
 
高校卒業を決意します。
 
  
高3のときにレスリングで国体にて優勝し
 
プロレス団体の門を改めて叩いたそうです。
 
 
ご存知の方も多いとは思いますが
 
この生徒が、
 
先日、この街で亡くなられた
 
三沢光晴選手です。
 
 
 
プロレスラーになりたいという生徒は
 
いまだ会ってませんが
 
夢を追いかけて自分と闘う生徒を
 
これからもわたしのリングで応援していきます。
 
 
ありがとうございました。
 
ご冥福をお祈りいたします。
 
夏季パンフ
 
本当は
 
夏季講習のパンフレット完成したってことを
 
書きたかっただけなんだけどなぁ・・・。
 
 

広島ブログ